第二日目 Luxmore hut => Moturau hat ; 目次に戻る :
次の日
目が覚めると外は雨だった。昨晩は運よく気さくなオジサンとベッドが向かい側になったおかげで気持ちよく過ごせたけど、天気予報の通りだけど、やはり雨はいやだなぁ。向かいのオジさんと朝食を作りに食堂に行く。日本人チームは既に食事の後片付けをしているところだった。雨の当たる窓際で食事をしていると、Kiaが雨宿りをしているのが見えた。愛嬌のある鳥だ。
オジさんは、天気が悪いから、暫くは山小屋で時間をつぶすようだ。今日の目的地はIris Burn hutなので、時間は十分ある。だけど私はno choiceだ。日本人チームが雨の中を出発して行ったので、少しは気分が楽になった。先に誰かがいると安心感が違うものだ。意を決して出発した。7時50分。
雨の中の山歩きは久しぶりだ。荷物は昨日とあまり変わらない重さだけど、山の尾根道なので傾斜はさほどきつくない。私の後にも何人かついて来ている。暫く歩くと避難所に着いた。Forrest burn shelterだ。中に例の日本人チームが大勢いた。中は狭くて居場所もないので、1分くらい日本語で会話してから、外へ出て歩き始めた。風もあるけど身の危険を感じるほどではなかったので、普通に歩けた。時々雲の合間から雄大な景色が眺められる。ここはなかなかの山道だ。天気の良いときに歩くと気持ちが良いだろうと思うが、先行する人がいないので少し不安。
そして、次の非難小屋に着いた。Hanging Valley Shelterだ。中に入って荷物を降ろしてリンゴをかじる。しばらくしてフランス人の男が入って来た。彼は私の後ろを歩いていたらしい。もう少し行けば下って森の中に入るから雨も弱まるだろう、早く次の小屋でスープを作ってあたたまりたい、と言う。どうやら彼も今日はMoturau hutまで行くようだ。そんな事を話している内に、日本人チームが到着した。なんだかここに来ている連中は皆健脚のようだ。日本人チームの一人は、このコースに何度も来ているようだった。避難小屋に人が増えてきたので、私は先に出る事にした。私の前には中年フランス人の男女がいるが、彼らもとても歩くのが早い。途中で彼らを追い抜いたけど、そこでヒザを痛めてしまった。しょうがないので、ヒザに負担がかからないように歩いた。Iris Burn hutに着いたら11時50分。小屋の軒下に座って休んでいるとフランス人チームが到着。彼らは早速ガスを使ってお湯をわかす、スープを作るようだ。さっきの避難所に一緒になった彼が盛んに一緒にスープを飲もうと誘うけれど、この濡れた靴を脱いでまた履くのはイヤだし、ヒザに不安が残るので、紅茶とビスケットの軽い昼食を済ませて出発した。12時25分。
Iris Burn HutからMoturau hutまではなだらかな山道。16.2kmとあるから、今のヒザの状態なら時速4kmも危ういけれど、5時間かかっても未だ5時半だから、なんとか明るい内に着けるだろう。ひたすら我慢の歩きだった。そういえば、Te Anauのvisitor centerで途中で道が15mくらい泥に埋まっているという話を聞いた事を思い出した。歩き始めて30分くらいで、道の上を川が流れているところがあって驚いた。それが上の右の写真だけど、ここは、水の深さはせいぜい20cmくらいだった。
雨はかなり小雨になって来たけれど、16kmは長い。途中で何人かとすれ違った。中の何人かは、泥水の中を歩いて来て大変だったと言ってたが、ついにその場所に出た。それが上の左の写真。ここは、膝まで泥につかる。15mくらい歩く。それが上の写真の場所。ゲイターなんて全く役に立たない。ひどい目にあった。
それでも、宿に着いた、17:05。
なんとか、夕食を作って食べていると、あのフランス人もたどりついたようだ。握手をした。しかし、ここは、なんてヨーロッパ人が多いんだ。ドイツ人たちは生臭い豚肉炒めを平気で食べているし、スゥエーデンからの家族連れもいるし。ここの水は茶色い色だ。wadenのオバサンに言うと、「私にはとってもきれいな色に見えるわよ」との事、参りました。
でも、このオバサンは、私の濡れたシュラフを乾かすために、ストーブの前の特等席を明けてくれて、助かった。ありがとう。夜のチケットタイムで、昨日はすっぽかしたミーティングに参加。このオバサンの英語が全く聞き取れない。困ったものだ。Kepler trackの山岳マラソンの話の中で、女性の部では、日本人女性が優勝したことを話していた。"間瀬ちがや"さん、という人の存在を日本に戻ってからInternetで調べて知った。そんな日本人がいたんだ。
また、このミーティングの時に、アジア系のカップルがいるのに気づいた。ちょっと近づいて2人の様子を探ると、なんだか聞き取れない言葉をしゃべっていたので中国人だなと思っていたが、翌日話をしたら日本人だったので驚いた。あの聞き取りにくい言葉は関西弁だったようだ。疲れていると頭もまわらなくなるのかもしれない。